亀井静香(かめい しずか) | ||||||
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合気道6段。趣味はゴルフと油絵。 | |||||
1936年(昭和11年)11月1日生まれ。広島県庄原市出身。国民新党所属。 | ||||||
私立修道中学校に入学。修道高等学校2年の時、通学証明書(定期券を購入するために必要)の有料化を批判するビラ配りをする。これが学校側の怒りを買い学校を放逐される。その後、都立大泉高等学校に編入、同卒業。1956年、東京大学経済学部に入学。キャバレーのボーイなどをして学費を稼ぐ。 かつては青嵐会に所属するなど、タカ派のイメージが強いが、日本の誇り、信頼を失う愚策だとしてイラクへの自衛隊派遣に反対。警察官僚としての経験から、誤認逮捕や冤罪は必ずや起きてしまうものとして死刑制度廃止に積極的に取り組む。 運輸大臣、建設大臣などを歴任した。運輸大臣当時の1994年、日本航空が計画していた客室乗務員の契約制客室乗務員としての採用に対して、「乗客の安全を守るべき客室乗務員に極端に異なる2つの雇用体系が存在すると、士気の低下に繋がり安全上好ましくない」と安全面から強硬に反対し、白紙撤回させた。許認可権を盾にとった上、規制緩和に逆行するとしてマスコミにも取り上げられ、「鶴亀戦争」などと呼ばれた。また、その裏に何らかの利権があるのではないかと言われたりもした。また、高速道路のサービスエリアで清酒販売を行わせるべきと発言し実行させようとした。高速道路で飲酒運転事故により身内を失った家族らから猛反発されることになり、今現在は白紙状態である。 小泉政権下では一貫して反主流を歩み総理を批判、郵政民営化にも猛烈に反対している。亀井派でありながら郵政民営法案に賛成を入れ、自殺した永岡洋治衆議院議員の葬儀で葬儀委員長を務め、「私がふがいないばかりに、君を守ることができなかった。許してくれ」と弔辞を読んだ。 |
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住友精化入社。 同退社、警察庁入庁。 連合赤軍あさま山荘事件、成田空港事件、テルアビブ空港事件の捜査に警察庁警備局の極左事件に関する統括責任者として参加。 警察庁警備局理事官、長官官房調査官を経て退官。 衆議院議員選挙に出馬、当選。以後連続当選。 「自由革新連盟」を結成。派閥人事を批判し、党総裁選で石原慎太郎を擁立。 運輸大臣就任。 建設大臣就任。 三塚派を離脱し、中山太郎元外務大臣と「中山 ・亀井グループ」を結成。 自民党政調会長就任。「志帥会」(江藤・亀井派)旗揚げ。 死刑廃止を推進する議員連盟会長に就任。 自民党総裁選挙に出馬するも敗北。 志帥会会長就任(亀井派)。 志帥会会長辞任。 国民新党 立ち上げ。 |
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