片山さつき(かたやま さつき) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ミス東大の頃 大蔵省入省当時 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1959年(昭和34年)生まれ。東京都出身。女性初の財務省主計局主計官。財務省国際局開発機関課長。舛添要一参院議員の元妻。旧姓朝長さつき。 父は東大出身の数学者で権威者、母親は東京女子大卒で、その一人っ子として育つ。中・高校は教育大付属(現・筑波大付属)へ進み、成績はトップ。東大法学部に進学し、在学中その美貌より「ミス東大」やJJモデルになり「東大の山口百恵」と騒がれた。 1982年旧大蔵省に女性5人目のキャリア官僚として入省。その後、人事院の国費留学生としてフランスの高級官僚養成機関『国立行政学院』へ。帰国後は証券局でインサイダー取引、関税局でウルグアイ・ラウンドと国内外の難題に取り組んだ。 1986年、当時国際政治学者だった舛添要一参院議員と結婚したが、離婚。1990年、現産業再生機構執行役員の片山龍太郎氏と再婚。 1996年には住専処理を進めるため、新設された銀行局の住宅金融再建管理機構別室の室長に就任。当初は幹部クラス(課長級)の登用が予想されたが、大抜擢となる。翌年、「債権等流動化室」が新設されると、室長に起用され、金融機関に残る不良債権の処理を行うために新設されたセクションでまさに破綻処理のエキスパートとして働いた。同室長時代、不良資産の証券化に取り組み、1998年の特別目的会社法成立を実現させた。 2004年7月、政府予算を仕切る花形ポスト主計官に就任、5兆円規模の防衛予算の査定を担当した。小泉首相の意向に沿い、防衛費予算の大幅削減を主張し、防衛庁側と激しく対立。「霞が関の常識を覆した」と話題になった。小泉首相とは趣味もオペラと共通している。2005年7月の人事異動で、国際局開発機関課長に就任した。
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