綿貫民輔(わたぬき たみすけ) | ||||||
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1927年(昭和2年)4月30日生まれ。富山県出身。国民新党代表。 | ||||||
富山県で代々井波八幡宮(南砺市井波)の宮司を務める名門家の出身で、自身も現職の神職にある。2004年には、神道に功績のあった神職に贈られる「長老」の号を神社本庁より受けている。父佐民(すけたみ)も衆院議員。 慶應義塾大学経済学部卒。鐘淵紡績(現カネボウ)入社ののち、1955年に28歳で家業である砺波運輸(現トナミ運輸)社長に就任。当時瀕死の状態といわれた砺波運輸を立て直し、上場企業へ昇格させるなど経営手腕を発揮。 1959年には富山県議員選挙に初当選し、政界にも進出。そして、1969年には衆議院議員選挙に旧富山2区から自民党公認で出馬し、初当選。以後、連続当選12回。 当初は川島正次郎→椎名悦三郎派に属したが、椎名派消滅後は田中角栄→竹下登→小渕恵三→橋本龍太郎派に移り、国土庁長官、建設大臣、自民党幹事長など要職を歴任。1998年7月、小渕恵三の首相就任に伴い、空席となった平成研究会(小渕派)の会長に就任し、派内のまとめ役に徹した。2000年7月、第70代衆議院議長に就任。2003年10月まで務めた。 郵政族を中心に衆参両議院約200人が参加する自民党の郵政事業懇談会の会長をつとめ、小泉純一郎首相が唱える郵政民営化反対の急先鋒として、衆議院における議決に際して反対票を投じた。その後、第44回衆議院議員総選挙における小泉首相らによる報復的な自民党公認拒否に反発して、亀井静香らとともに「国民新党」を旗揚げして代表に就任した。 |
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1969年12月 1975年12月 1976年12月 1986年 7月 1990年 2月 1991年10月 1998年 7月 2000年 7月 2005年 8月 |
衆議院議員選挙に立候補し、初当選 通産政務次官(三木武夫内閣) 郵政政務次官(福田赳夫内閣) 国土庁長官、北海道・沖縄開発庁長官(中曽根康弘内閣) 建設大臣(海部俊樹内閣) 自民党幹事長(宮沢喜一総裁) 平成研究会(小渕派)会長 第70代衆議院議長(在任期間・2000年7月4日-2003年10月10日) 国民新党を立ち上げ、代表に就任 |
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